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沖縄本島〜九州鹿児島単独シーカヤック海峡横断の冒険へ


沖縄県糸満市の大城造船所にて進水式 米 塩 泡盛 オリオンビールを並べる

2023/06/21 梅雨明け出航


沖縄の暑い太陽がギラギラと照りつけ、糸満の港を飛び出し広がる海の景色は、沖縄らしいエメラルドグリーンの海が視界に広がり眩く、サンゴ礁が埋め尽くす浅いリーフの先を見ると、コバルトブルーがどこまでも続く青い大海原が水平線のどこまでも続く景色があった。





これから九州鹿児島まで海を渡るのだ。

シーカヤックという世界最小の手漕ぎ船で大海原を渡れる乗り物で、誰よりも自由に過ごせる乗り物で行く。

孤独になりそうな時もあるだろう、時化が酷く死にそうな時もあるだろう、しかし見たこともない美しい自然の雄大な風景へと漕ぎ、渡る島々で様々な人と出会いその島の豊かさをきっと知る事になるだろう。ましてや、行きたい所あちらこちらへと行く自由な俺の事だ…コバルトブルーのような美しい瞳の、シラウオのように透き通った肌の美し女性に出会ったりでもすれば、いつまでもその島に居続けるかもしれない…



使用艇フジタカヌーシーショア500改プロト


糸満で宿を営む友人夫妻(嫁が学生時代の友人)とサバニ造船所(サバニとは沖縄の外洋航海の木造帆船)の棟梁やスタッフに見送られながらの出航だった。

「ヤマグチくん死ぬんじゃないよ…海とは自分の想像を越えるほどの脅威があるのだから…」

みな、期待と不安の混ざった応援の声を後ろに、糸満の港を漕ぎ始めた。




港を出るとすぐに、胸をすく程の輝く海はキラキラと水面が美しい。カヤックの先端が海に持ち上げられ、波間にパシャンと波飛沫と共に腕や身体に飛沫がかかり海との一体感を感じていた。


リーフの先を見ると南風で波立つ白波が所々目立っていた。


「急ぐ旅じゃない今日はどこまで行こうか」


自由な冒険をしてみたかった。漕ぎ歩く標を自身で決めるシーカヤックが好きだった。

元々は西表島でマングローブの川をカヤックで案内するガイドを雇われで働いていた。観光ツアーで来た旅行客を対象にした仕事だ。カヤックと言っても、レジャー用の小さな乗り物でおもちゃのようで、川から海に出てはいけない。そう言われそんな乗り物でもあった。


…川の魅力も素晴らしいが、仕事をしていく内に、同じ川で同じ話をする繰り返しの毎日が退屈なこともあり、何よりカヤックの操船技術は上手くならなかった。いずれは川にかかる橋を越えて海に出よう…!と海に希望のようなものをいつも持っていた。


金を貯め、分からないなりに中古ではあったが、分解組み立てが可能のファルトボート、フジタカヌーのカヤックを買った。

初めて海に漕いだ日の事をよく覚えている。橋を越え広がる大海原、傾いた西陽がリーフの広がる海をオレンジに染めあげ、川と違って海はしなやかなうねりとともに水平線から脈動していた。

この乗り物はどこまでも行きたくなる乗り物だと、どこまでも行ける、直感的にそう思った。


それからというと、趣味であったキャンプ道具をカヤックに積み込み西表島の秘境のビーチや石垣島まで漕ぎ、キャンプをしながら一周したりとカヤックと海の魅力に虜となっていた。

当時も様々な人と出会い忘れられない事が今も記憶残る。


………



那覇空港横の防波堤を横目にリーフ内を漕ぎ、空港を何度も飛び交う飛行機を見上げていた。

そして飛行機とは別で、戦闘機が耳を塞ぐ程の爆音を鳴らし飛んでいる。

出航して気持ち良く漕ぎながら驚いた事だった。まるで自分達の空かのように自衛隊、米軍機がひっきりなしに飛び交う空に日本と思えない違和感があった。


「うるせえぞ馬鹿野郎!」

と心の声を空に叫んでしまった。



空港横を過ぎ、那覇の港から大型船が出入りする航路をドキドキしながら轢かれぬよう漕ぎ、海岸一つ見つからない続く防波堤横を淡々と漕ぎ進んだ。


浦添市を過ぎ宜野湾市に入った辺り人工ビーチの小さな場所だが上陸をした。ビーチ上は公園のようで、あちこちカップルやランニング、散歩する人がいる。西陽が眩しく、夕焼け空を眺めに訪れる人で賑わっていた。

公園の水道をひねり頭を洗髪し、汗と潮を流しサッパリしては木陰が揺れる防波堤横のベンチで横になる。涼しく吹く南風の心地よさ。何とも人間らしい。なぜそう思うかと、これから先人間らしくない場所で寝る事もあるだろうと思えば…

糸満から息巻いて漕いだからだろうか疲れていた。飯を炊き、明日のにぎり飯の準備して、飯を食いベンチで横になり眠った…



seashore500改 #fujitacanoe

ファルトボートの旅

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